(オ)在宅医療・介護連携に関する相談支援」のはき違え

2020.6.8投稿

在宅医療介護連携推進事業で示された事業は8つある。その1つに「(オ)在宅医療・介護連携に関する相談支援」があり、全国で在宅医療・介護連携に関する相談窓口が設置されている。これは医療・介護関係者の連携を支援するコーディネーターを配置し、在宅医療・介護連携取組を支援するというものだ。

この取り組みの実施主体は市町村直営、地域包括支援センター(委託法人)などが殆どだが、一部の自治体では社会福祉法人や医療法人が委託されている。相談の対象は医療・介護関係機関のみの場合もあれば地域住民も含め実施するなど対象もバラバラになっている。

委託されたセンターは相談窓口なので「相談を受けると」いうスタンスで取り組む。そればそうだろう。私もこの一年そのように感じ実施してきた。でもここ最近違う思いを持つようになった。それは在宅医療・介護連携に関する「相談を受ける」のではなく「相談(事)を解決する窓口」だということだ。

介護保険制度ができて20年が経過した。ケアマネジャーの数も増え、質も向上した。医療機関への受診の仕方だとか、どの医療機関が訪問診療を実施しているかなどは、ほぼ既知のこととして、居宅介護支援事業所等の事業所内では共有されている。医療・介護連携が進んでいる地域や小規模の自治体などは医療・介護資源に関する不明点は極めて少ない。ゆえにこの「相談窓口」が役割を発揮することは少ない(と思われる)。

相談が少ないとその地域の在宅医療・介護連携に関する問題も少ないかというと、そうでもない。問題はどちらかというと「問題ないと思っていること」自体が問題だということもある。

特別養護老人ホームへ入所していた利用者が肺炎で救急病院へ入院した。経口摂取が出来ないので経管栄養を導入することになった。肺炎の治療は終了したが、経管栄養はその特養では管理できないので特養退所扱いとなり、医療機関は受け入れ可能な転帰先を探す。

昔からそのような取り扱いをしてきた場合、関係者はこのことに課題や問題を感じるだろうか。

「サル化する世界」(文藝春秋)で内田樹氏は現代日本はサル化していることに警鐘を鳴らす。

先ほどの特養の例えだと、経口摂取困難で経管栄養になった方が救急病院へ入院し、退院や転院が出来ないでいると病院の病床が一杯となり、いつかは肺炎なった入所者がその救急病院から満床で入院を断られるかもしれない、という過去と未来を含んだ視点で「今」を考察できないということを想像できない状態ということになるだろう。

内田は「サル化した人間の特徴は『過去を反省しない』」『未来に対して見通しを持たない』ことです。」という。

このままこの状態が続いたらもっと大きな問題になる。こういう「未来への見通し」を持ち、今は問題となっていなくても未来に問題となる可能性や危機を感じ「現在の問題ないと思われる出来事」を問題と感じることが求められる。

「相談を受ける」のではなく「相談(事)を解決する窓口」というスタンスでいることが在宅医療・介護連携に関する相談窓口の役割なのだと思う。

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