今回は対人支援における「本人の意向」は重視されるべきだが、実はあまり尊重されていないどころか、支援者の都合の隠れ蓑になっているかもしれないという話しをします。これには「尊厳の重視」を捉え直すべきだろうという話しです。
【本人の意向と社会資源】
令和4年度に北見市では㈱日本総合研究所の協力を得て、「適切なケアマネジメント手法実践研修」を実施しました。この研修を開催して気づいたことがあります。それは「本人の暮らしに対する意向の確認」がすべての出発点になるということでした。例えば脳卒中の後遺症で片麻痺となり独力での歩行、入浴や排せつが困難になった単身の高齢男性がいるとします。ケアマネジャーの皆さんはどのようなことをご本人に尋ねるでしょうか。移動の方法、浴室の環境や居間からトイレまでの距離でしょうか。環境の整備は無用な事故や残存能力の活用という点でもちろん大切です。医療機関においてはどうでしょうか。自宅退院できるのか、もしくは転院か、といったところでしょう。「暮らしに対する意向」とは、当のご自身は今現在、置かれた状況をどのように捉え、ご自身の暮らしや生き方を今後どのように考えているかです。まずはここから出発しなければなりません。これが適切なケアマネジメント手法の考えの中心に置かれていると感じたのです。私は長らく医療ソーシャルワーカーとして医療機関で主に脳卒中の患者さんの支援に携わりました。当時若かった私は早期に転院できる医療機関を探すこと、自宅へ帰る際はデイサービスの申し込みを市役所へ申請することなどが支援だと考えていました(介護保険施行前は役所へ行政処分として申請をしていたのです)。つまりご本人の意向をとりあえずは尋ねるものの、どうすれば自宅への退院が可能になるか、退院後の生活が安全になるかといった退院のための環境や条件の整備に奔走していました。退院支援とはつまり社会資源をどう整えるか、そういうものだと信じて疑わなかったのです。
【本人の意向を隠れ蓑にした周りの都合】
私たちは毎日、何を着るか、どこへ行くか(大概の皆さんは仕事場ですね)や、何を食べるかなど、小さな意思決定をしています。これらはあまりにも小さいので、決定している自覚すら私たちにはありません。しかし、脳卒中になり入院した場合、元通りの身体に回復するのだろうか、いつ退院できるのだろうかなど不安が頭をもたげます。そんな入院生活を送る中、医療機関から問われるのは退院先です。急性期の医療機関は入院期間が限られていますから、入院治療が終了したら退院です。しかしリハビリテーションを要したり、家屋の改修が必要な場合があります。急性期の病床から、回復期リハビリテーション病棟などへの転棟(院内での病棟移動)や、他の医療機関へ転院をすることになります。こういった「退院後の意向」は本人の希望は実は建前で、多くは医療機関の都合で決まります。しかも入院治療の終了と同時期に行われるため、入院直後のかなり早い時期から「退院後の意向」の決定を迫られます。無事に自宅退院したあとも、リハビリテーションは必要か、どこの事業所を選ぶか、何曜日なら事業所が利用できるかなどをケアマネジャーとともに決定していくこととなります。こういった転帰先の決定や利用するサービス内容などは一見「本人の意向」として扱われますがこれは「本人の意向」というよりは「周りの都合」です。つまり介護を必要とする病気になったあと、患者さんや利用者は他者によって決められた暮らし方や生き方を説得されたり、納得させられたりという暮らしを送ることになります。もう個別性どころの話しではありません。患者さんや利用者にとっては「本人の意向を隠れ蓑にした周りの都合による意思決定」とすら言えるでしょう。
【本人の意向、意思決定と尊厳】
支援とは周りの都合の調整ではなく本人に対する支援であり、この核となるものが本人の意向や意思決定であることを踏まえれば支援者は「本人はどのように感じているか、考えているか」を患者さんや利用者へ尋ねなければなりません。どこへ退院するか、どのサービスを利用するかは、本人の意向や意思という目標を叶えるための方法に過ぎません。そこで重要となるのが適切なケアマネジメント手法の3つの基本方針の1つである「尊厳を重視した意思決定の支援」だと思ったのです。単なる意思決定ではなく、「尊厳を重視する」というところがポイントです。ちなみに「適切なケアマネジメント手法」の基本方針にはこの他に「これまでの生活の尊重と継続の支援」と「家族等への支援」があります(図1)。
それでは「尊厳を重視した意思決定の支援」における「尊厳」とは何でしょうか。哲学者の清水哲郎氏は「尊厳をもって死に到るまで生きること」というレポートで尊厳の3つの種類を紹介しながらこのように記しています。
「第三の意味は、自らを価値ある、有意義な存在と感じる自尊感情である。(中略)この意味の尊厳は、自分で現在の自分を肯定的に認められるかどうかを問題にしており、この意味での尊厳は主観的なものであり、各自が自らの存在価値といったものについてどう感じているかに関わるため、失われることもあり得ることになる。」
と言っています。つまり、他者の介護が必要となった患者さんや利用者自身は自らを価値ある、有意義な存在と感じているかどうか。「もう俺の人生はおしまいだ」などおっしゃった時、「そうですか分かりました」とは私たちは言いませんよね。再びご自身を価値ある存在と感じられる関わりを試みるでしょう。「尊厳の重視」とは本人の主観にあり、我々は感度を上げて観察する必要があります。単に利用者の意思を尊いものとして大切に扱う我々支援者側の心情を言及しているのではありません。
【ケア目標立案のための取り組みは徹底した本人との面接から始まる】
今回のテーマは「ケア目標立案のための取り組みは徹底した本人との面接から始まる」でした。ここまでお読みいただければお分かりになったと思います。初めは入院患者として、その後は要介護者として生きていく患者さんや利用者は自尊感情が低下している場合があります。そんな時に支援者という役割を持つ私たちこそが「尊厳を重視する」態度が最も求められると思うのです。しかし尊厳を重視して、本人の意向を聴くことはとても困難な作業です。なぜなら、本人自身も自分の意向を充分に分かっている訳ではないからです。この難しい面接への解決のヒントがありました。令和5年3月に北見地域介護支援専門員連絡協議会が主催した「対人援助職のための面接力向上研修会」で講師の松山真先生(立教大学コミュニティ福祉学部)は、F.P.バイステックの考えを次のように紹介されました。「コミュニケーションは三通りある。①情報や知識をやりとりする。②感情のやりとりをする。③知識と感情の双方のやりとりをする。質のよいコミュニケーションとは、相手が何を(知識か感情か)求めているか読み取ることである。」つまり、私たちは本人の意向という意思決定された結果(知識)のみに着目するのではなく、意思決定に至る患者さんや利用者の「感情」のやり取りを面接によってしっかり捉えられるかどうかが肝であるということでした。ケア目標とはそういった私たち支援者の専門的な価値意識と技術によって利用者とともに作り上げるものなのでしょう。